ずいぶんと昔の話になりますが、私の妹が中学生の頃、
地球環境の授業があったとかでその内容を話してくれ
たことがありました。
その中で特に印象に残っているものが、「割り箸は使わ
ないと環境に悪い」というものでした。おかしな話です。
割り箸は基本使い捨てなので、使えば使うほどゴミが増え
、それを処分するために燃やすにしろ埋めるにしろ何かし
らの損害が生じるハズです。
疑問に思い聴いてみれば、割り箸は端末の木ぎれを使用し
て生産されている
ので、生産せずに処分するよりかは割り箸になって使われ
るほうが環境に良い、と教わったようです。
なるほど。たしかにそう言われてみれば、使わず捨てるよ
りも生産的…いや、何かおかしい気がする。作って使って
そのまま捨てるのであれば、それは生産に使用したコスト
分だけマイナスにならないか。使い捨てる割り箸を何度も使
用するのであれば、それが正しいのでないか。いや、それは
最初の端末の木ぎれを使用する事象に矛盾する。
パラドックスに陥ってしまいました。そこでふと思うことが
あるのです。
天文学者のガリレオ・ガリレイは、水平に移動している舟の
上で物を垂直に落とす実験をしました。結果は当然、真下に
落下します。
しかし、その「真下に落下する」結果は、同じ舟に乗ってい
る人から見た結果であり、舟の外から見た人には、「放物線を
描いて落下した」ように見えるわけです。
これは、観測者の立場が違えば結果も違って見えるというこ
とで、蛇足になりますがその後相対性理論にも用いられる
理論となるわけです。
最初の話に戻りますが、割り箸を使えば環境に良いというの
が正しいのかどうかは、結局のところ「観測者の立場」によ
って変わってくるのではないでしょうか。
ゴミを処理する立場の人から見れば、使い捨てる割り箸は環
境に悪いものに見えるでしょうし、木ぎれを使用して生産す
る人から見れば環境に良いことしていると思います。
地球環境なんて、問題が大きすぎて個人から見ると手のつけ
ようの無いものに感じてしまいますが、結局のところは、手
の届く範囲で正しいと思うことをやっていくしかないのかな
と思います。
業務部 豊巻 聡司